ようこそ、地獄のルシフェリウスの住む部屋へ。
今晩はぬいぐるみのハナシをしましょうか。
ここだけのハナシなんですけどね、僕はぬいぐるみが大好きなんです。(小声で)
ぬいぐるみの持っている、あの毛でできた、ほどよく流動的な顔は、悲しくなるほど
カワイイ。
幼少の頃、あんまり毛が生えてない固形然としたぬいぐるみをもらい、
子供心に漠然と「何かが違うんだ・・!」と思った。
数年後、僕は毛並みによって、表情が変わって見える、少し凝ったぬいぐるみに出会った。
そのとき「これが理想だったんだ!」と雷が走るように、
心の中の夢のヴィジョンとピッタリ合わさったのを覚えていますね。
ぬいぐるみの中でも一等好きなやつは
星空みたいな柄をした恐竜くんのぬいぐるみなんですけど、
彼については書ききれないほどあるのでまた別の機会にしましょう。
恐竜くん以外ですと、僕にとってテディベアは特別。
その毛に覆われたうしろ姿にはやるせない気持ちにさせられるんです。背中の毛並みはいつも何かを語っているように見えますし。
大人になった今の僕が、沢山のぬいぐるみを見て思うことは、
実にぬいぐるみには一体一体顔があって、性格が滲み出ているということ。
そして、それは作り手が人間だからこそ滲み出てくるものなんだ!
人間てほんとに面白いですね。
テディには色んな雰囲気を持ったヤツがいて、
あどけない、にこやかな顔。

ちょっと賢そうな顔、

なにかしでかしそうなわんぱく顔や

薄情そうな顔(やはりこれは滅多にいませんけど)
と、顔つきだけでも多種多様。
鼻だって薄紫やピンクと薄オレンジ色の(ああ、なんて美味しそうなんだろな。シャーベットみたいですね)糸が混ざっていたり、身体の毛と全く同じ色で、どこに鼻があるか分からなかったりして・・
でもよく見てごらんなさい、丁寧に刺繍されているでしょ?
身体まで入れて全体の雰囲気を見るとさらにいろいろなやつがいる!
透き通るような煌きを放つピンクのハート型スワロフスキーを
首からぶら下げているピンク色のテディ。
そのハートはまさにテディの奥で光り輝いている心臓のイメージなんだ。
なんと鼻は薄い桃色の糸でハート型に刺繍されています!
いつでも濡れてるような毛でちょっとビール腹なやつ、
やたら座高の低いのや、鼻づらが長くて本物のクマに似たやつ。
正面から見ると怒ったような目をしてるのに、横からみると怒ってないテディ。
逆にどこから見ても怒ってるテディ (しかも口まで開けて何かを主張している) 。
こういうやつは、いつも転がされっぱなしにされて黙っているような受身なタイプではないんだ。
中にはオジサンのような顔もいる。
あぁ・・僕が子供の頃はそのオジサンのようなテディを毛嫌いしていたことを思い出してしまった。
プレゼントされたテディが、火のすっかり通り切ってしまった合挽ミンチのそぼろ肉のような色で、ちりちり毛のテディだったんですよ。
しかも体はやけに長めだった・・。
せっかくもらったその、そぼろのようなテディをどうしても「可愛い」と思うことができなかった僕は
少しでも「可愛い」と思うために、テディが着ていた赤いチェックのワンピースを引き剥がしたりしてみました。おじさん顔なのに女のコな服を着ていたのがイヤだったんです。
テディはそれからしばらくの間、はだかんぼで過ごしてましたよ。

しかし、いざすっ裸に服をむいてしまうと・・、
ホントは、初めからそのワンピース込みで、そのテディだったのに、
ありのままのテディを大切にしてあげていないような、
そのテディの個性を認めていないような気になってきたんです。
僕はやっぱり服を着せることにしました。
不思議なものですね、
子供ってのは、自分の手元にきた人形に
めぐり逢いのような「運命」を感じるのかもしれない。
いくらオジサンのような顔でも、どんな可愛くなくても、他の子の人形の方が素敵に思えても、
いつしか自分のぬいぐるみが
まるで自分の子供のような(子供の微妙な感覚の範囲ですけれど)、ものに思えるんですよ。
そぼろテディに対して、僕の中で、
「見た目に可愛くない、それだからこそ僕のテディは僕がかわいいと思ってあげなきゃ誰が思うんだ?」
というような責任感のようなものが湧き起こってきた。
服をむしりとったことによって起こった気持ちだった。
かわいくないってことを補って余りがあるほど愛してあげなくては!
ってな哀愁のある責任感の混ざった愛情が芽生えたんだ。
僕はぬいぐるみに家族感や年齢の差を認めない子供でしたよ。
テディ同士が「親子」、もしくはどちらかが「年上」、なんていう関係はステキじゃない。
いくらオジサンくさい顔のテディでも
僕と同年齢か、年下で、そのぬいぐるみ同士はトモダチなんだ。
だから、オジサン顔のクマも、他の誰にでも愛される系の天真爛漫なクマと同様にわけへだてなく大事にしてあげなければならない、ということになるんだ。
クマたちに歳の差があるなんて断じて考えたくないですね。
大きいテディが膝に小さいテディを抱っこしていても親子なんかじゃあない。
身体の大きいクマくんと小さいクマくんなんだ。
さて、僕はいつもから、
ぬいぐるみにはカルマ的にくっついてる「毛」というものにこそ、恐いくらいの魅力、いわゆる「魔性」ってのが詰まってるんだと思ってます。
「毛」があることにより、デフォルメされ過ぎていない可愛らしさ、が滲み出てくるんじゃないかなあ?
どんな生き物も毛むくじゃらの人形になると可愛くてたまらないやつになってしまう魔法がはたらくんだ。
例えば、ほわほわの柔らかい毛でできたカタツムリのぬいぐるみ。
てんとう虫にちょうちょ。
昆虫たちだけでは飽き足らず、
ぬいぐるみ製作者の想像力は海の中まで飛びこんでゆき、
同じく、ふにゃふにゃの毛でできた貝殻のぬいぐるみ。タツノオトシゴにクジラ、イルカ、ザリガニまでもが「毛」に覆われ、
途端に単なる動物ではなく、性格と心を持った「貝殻チャン」「てんとう虫クン」になるんです。
まあ、それだけでは飽き足らず、ぬいぐるみ作りの手はあらゆる物に伸びてゆき、
ペガサスのような架空の生物から恐竜クン、そしてふにゃふにゃの角を持ったサイ、
まっすぐに立てそうもないエッフェル塔、
物を食べれそうにないペランペランのくちばしのカラスや
毛がもじゃもじゃ過ぎて目や鼻がめり込んだような猫などを作るんです。
とにもかくにも
ぬいぐるみのあの抗い難い魅力といったら、元から毛の生えている生き物はさることながら
「毛」×毛のない動物、
「毛」×生き物でないモノ
という新しいコラボで、見たこともないカワイサの境地へのさらなる跳躍にも秘密があるように思われますね。
おっと、そろそろ地獄の講演会の時間だ。
講師は誰かって?もちろん僕ですよ、フフフ。
さあ、地獄の皆さんに人間界の見聞録を教えてきますよ。
今日、この部屋でお会いした、あなたのことも、ね。